永代供養墓をつくって35年、今思うこと
「永代供養墓は単なるブームではなかった」
●永代供養墓第1期から第2期ブームへ
はじめまして。礼拝空間デザイン室TSUNAGU(つなぐ)の代表 森口純一です。
35年前、ひょんなことから印刷会社を退社した私は、日本中のお寺に永代供養墓を設計することになっていました。35年間で建てた永代供養墓は日本全国約500箇所。おそらく日本で一番永代供養墓のことを知る男かも知れません。私の人生、永代供養墓に捧げると言っても過言ではありません。「こんなお墓もいいね!」をテーマに全国津々浦々のお寺を駆け巡っています。
現在、永代供養墓は第2期ブームを迎えています。最初のブームは、無縁墓改葬に関わる法が緩和改正された平成12年でした。当時は映画『お墓がない』が話題となったお墓バブル時代。無縁となったお墓を改葬し、空いた土地にどんどんお墓をつくり飛ぶように墓が売れたとき。当時の永代供養墓は、改葬で出た遺骨の安置場所として使う目的の方が多く、言って見れば無縁仏安置所。イメージも良くなく、利用者も少なかったことを記憶しています。
ところが現在では、永代供養墓を選ぶ人が、一般墓所購入者を上回る状況です。お墓は先祖から家族、今や夫婦やお友達、お一人で入るものに変化しました。
●自分のお墓は自分たちで探す時代へ『お墓探しの旅へ』
お墓に関する悩みや心配を抱えている方は、年々増加しています。「自分が亡くなったらどうなるの?」「ちゃんとあの世に行けるのだろうか」「誰が供養してくれるのか」「子供達にはお墓のことで迷惑をかけたくない」様々な理由から、自分のお墓は自分で確保しなければいけないことになってしまいました。そこに追い討ちをかけたのが「墓じまい」お墓を持つことが、誇りや喜びではなく、精神的・経済的な負担になっていったのです。
時代は変わり、人生自分たちの墓探しに時間を費やすことで、生き方や死に対する向き合い方、そして死を受け入れ、前向きに人生終盤を過ごしていく。考えようによっては、死を見つめることが元気の源になったのかも知れません。
永代供養墓が大きな救済への第一歩
●お寺とつながりたい人たち
お寺とお墓は先祖代々守り継承することが当たり前だった慣習が、お墓継承が困難になってくると、確実に減少する檀家数に歯止めを打つため、また新たな檀家獲得のために永代供養墓が大きな受け入れ先となりつつあります。次世代の方には檀家、菩提寺への意識が薄れる中、「お墓をきっかけに、お寺を選ぶ時代」に突入しています。そのためにも選ばれるための永代供養墓をつくることが、お寺とつながる大きな要因になっているようです。
複雑な心境ですが、檀家数の減少問題が大きくなればなるほど、私のもとには永代供養墓の設計依頼のお仕事が増えてくるのです。
●永代供養墓をきっかけにお寺の門とを広がっています
私たちの意識の中に、お寺=仏さま、お墓=ご先祖さまと向き合う時間がどれくらいあるでしょうか。お寺へお参りに行って、仏さま、お墓の前で『ありがとうございます』と手を合わせる。そんな時間こそが、一番必要な時間だと、私は信じています。お寺という非日常的な空間だから
出来るのだと思います。今、お寺は積極的に皆さんを受け入れようとしています。コンサートやイベントで先ずはお寺を知ってもらう活動をしています。社会の声に応えるために、「さまよう遺骨」なんて社会をつくらないため、「供養は平等に受けられるため」永代供養墓をきっかけに、沢山の方を救済しようと頑張っています。
そして、私も私の出来ることで、お寺のともしびを絶やさないように、日々お寺の方たちの土台となれるよう、全国各地を飛び回っております。